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兄妹姉弟〜et cetera〜<<哀しい……>>
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・同じ事故… 日記(2002/09/20)
・兄弟/姉妹を亡くした人の文集 レクイエム
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・漫画家の永島慎二さん
  永島さん(67)は、漫画への情熱ゆえに中学を中退して家出をした。働きながら苦労して漫画を描いていたが、食べる事すらままならない時もあった。母や姉は冷たく、永島さんのたった一人の味方が妹だった。
  何日も雨が降り続いたある夜、ふらふらになって実家の天ぷら屋にたどり着いたがにべもなく追い出された。近くの空き地で泣きながら猫とじゃれていると、「お兄ちゃん」と声がした。妹だ。差し出した新聞紙の包みにはコロッケや天ぷらと一緒にちり紙で包んだお金も入っていた。
  妹はいつも優しかった。
「お兄ちゃんは立派な漫画家になれるよ。男だもの、やり通さなくちゃ。お兄ちゃんの漫画が本になったら、学校でみんなに見せてやるんだ」。会う度にそう言って励ましてくれた。
  (友人から借りていた)馬小屋の二階の二畳ほどの部屋で描き上げた70枚の作品「さんしょのピリちゃん」が編集の目に留まったのは1952年夏。永島さんは14歳でデビューした。 三千円の大金を手に凱旋した日が忘れられない。妹は大喜び。母も「そんなに描きたいなら家でやれ」と言ってくれた。
  一年余りの家出生活は終わった。が、できあがったその本を妹が見ることはなかった。
その夏、学校の友達と川に泳ぎに行って溺れ、妹は天国に旅立ったのだ……
2005/06/04 朝日新聞東京版より(要約)
†永島慎二さんは、2005/06/10に亡くなられました…
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・(静岡県 男性 85歳)
  銀ブラには消しがたい思い出がある。
  1942(昭和17)年11月、京都の部隊から戦地に赴くことになった。直前に3泊4日の外泊を許され、品川区の実家に帰ると、3歳下の妹が銀座に連れ出してくれた。有楽町から新橋まで銀座通りを2人で歩いた。まさに銀ブラである。
  私は軍服、妹は和服で歩いていたら、街頭写真屋が飛び出してきて、パチリと私たちを撮影した。その写真は、中国安徽省で兵役に就いていた私に無事届く。懐かしくて、何度も何度も見返した。   半年余り後。交代で衛兵勤務に就いていたある朝、仮眠していたら夢に妹が浮かんだ。寂しそうな姿でまざまざと現れたので、私は目を覚まし、手帳に記しておいた。
  20日ほどして、内地の兄から手紙が届いた。あの妹が肺結核で亡くなったそうだ。死亡時刻は私が夢を見たころだ。当時は結核で亡くなる方が多かった。銀ブラの写真は貴重な記念になってしまった。
2005年 朝日新聞読者投稿欄より
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・(神奈川県 女性 46歳)
  今年も庭でセミが鳴いています。いいえ、笑っているんですよね。
  何年か前、絵手紙の上手な兄がセミを描いて「夏になるとなくと思っているでしょう。実は笑っているんです。どうせなら笑ったほうが楽しいですよね」という言葉を添えて、送ってくれました。
  5月に亡くなった兄は、みんなにいろいろな言葉を残してくれました。姉の誕生日に「毎年小さな花を咲かせていつの間にかお花畑ですね」、両親には「七転び八起きより転ばぬ先の杖」、愛する人には「花を見て幸せを感じ、妻を見て幸せをかみしめる」―まだまだたくさん。
  私もそんな兄が、年老いた両親や妻を残して逝ってしまったと悔やんで泣いているのではなく、雲の上で待っていてくれた親友と思い出話に花を咲かせて笑っていると思うことにします。最後にくれた絵手紙の言葉が「背を伸ばして前を向いていきましょう」でしたから。そこに描いてくれた真っ直ぐに伸びたカラーの花は、私の結婚式のブーケの花だったって覚えてくれていたかな。
  新盆も終わり、こうして月日は過ぎていきます。「想いは今も変わらず ふぉーえばー」というのもありましたね。
  いつまでも私の大切な兄です。
2005年 朝日新聞読者投稿欄より

<<歌紹介>>
(midi鳴ります) 兄→妹
木琴 (同上) 兄→妹 TT 結構有名な合唱曲です。
涙そうそう (同上) 妹→兄 TT
Ark 兄v妹 (暗) フラーテルとソロル ファンタジー
Sound Horizon(『Elysion』より) ライブ模様 ライブ絵
調べると色々な歌解釈があります。

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